2014年 11月 13日
VETERANS DAY (復員軍人の日)
みなさま。
昨日はVETERANS DAY (復員軍人の日)でした。
これは第一次世界大戦を停戦させた事を記念する祝日です。
アメリカにはこれとは別に、5月にMEMORIAL DAY(戦没者追悼記念日)というのがあり、
各地にある戦没者墓地などで追悼セレモニーがあります。
ここ、アラスカにもエルメンドルフ、リチャードソン基地内に
NATIONAL CEMETERY( 戦没者記念墓地) があり、
アメリカ人、カナダ人、日本人など、国籍を問わずお祀りされ、記念式典が執り行われます。
今年の5月、戦没者記念式典が晴天の中執り行われ私も出席してまいりましたが、
私にとり、ことのほか感慨深い式典となりました。。
この戦没者墓地の一角に 先の第2次世界大戦でアッツ島、キスカ島でなくなった方々が
お祀りされている場所があります。
弊社では、オーロラ観賞の旅、アラスカの自然を楽しむ旅、動物を見る旅、アラスカ鉄道に乗る。。。。
色々な形の旅のお手伝いをさせて頂いています。
一つ一つを大切に努めさせて頂いていますが、
人生の中できっと忘れる事のできない旅のコーディネートを、
昨年させて頂きました。
”アッツ島への慰霊の旅” です。
アメリカ軍、沿岸警備隊などの様々な関係機関からの協力を得て、実現した旅でした。
通常の楽しい旅とは趣旨が大きく違い、
お客様の心の中には”今まであったことの無いお父様に会いたい”
”お父様の最後の場所に立ってみたい”という想いがあふれる旅でした。
私も、ご旅行中ずっと ご一緒させていただき、アッツ島へもご一緒させていただき、
ホテルでのお食事中、飛行機の中、毎日色々なお話を伺いました。
”母のお腹にいたときに父がアッツ島に出征になったので、
男の子なら”あつし’ 女の子なら ”あつこ”とつけるようにと父が言いおいて出征したので
私の名前は”あつこ”なのよ。
”弟と釣りに行っていて、きちんと行っていらっしゃいの挨拶ができぬまま
父が出征し、それが永遠の別れになってしまったのがずっと心の中にあります”
お話を伺い、本当に1年分の涙を流したかと思うほど、
私は、毎日泣いていました。
アリューシャン列島にあるアッツ島まで、小型飛行機を乗り継いで行きましたが、
アッツ島上空の雲が厚く、
30分近くパイロットが雲の切れ間を見つけるために上空を旋回してくれました。
アッツ島は有視界着陸が原則なので、
切れ間が見つからず、着陸できないとパイロットから告げられたとき、
”お父様の最後の土地に立ちたい” と言う皆さんの気持ちを思い、本当に悲しくて泣きながら、
”上空遥拝しましょう” と皆さんと一緒に手を合わせお祈りをしました。
突然、目の前の、あんなに厚かった雲が、
ぱーーーーーーっと、
本当に雲の扉が開くように開け、飛行機が急降下をはじめました。
パイロットが 私達の席を見ながら 親指を立て、満面の笑顔で、
”みんなをお父さんのところへ連れてゆくよ!!”
と言ってくれた瞬間を私は死ぬまで忘れません。
あの厚い雲が開けた瞬間、
ここに眠る方達は 68年もの長い間、ずっと息子さんや娘さんが来るのを待っていたんだと思いました。。
アッツ島は、
”地上にこんなに空気が凛として、すべてが浄化されている場所があるかしら?”
と思うほど、空気が綺麗なところでした。
来年は終戦70年の節目となります。
御遺族の方達の年齢も年々高くなります。
遺骨収集もなかなか進んでいません。
今、平和に暮らせる事への感謝を忘れず、
もしかなうものなら、ぜひまた、皆さんにいらしていただけたらと思います。
そしてまた、旅のお手伝いをさせて頂ければと思います。
BY J
昨日はVETERANS DAY (復員軍人の日)でした。
これは第一次世界大戦を停戦させた事を記念する祝日です。
アメリカにはこれとは別に、5月にMEMORIAL DAY(戦没者追悼記念日)というのがあり、
各地にある戦没者墓地などで追悼セレモニーがあります。
ここ、アラスカにもエルメンドルフ、リチャードソン基地内に
NATIONAL CEMETERY( 戦没者記念墓地) があり、
アメリカ人、カナダ人、日本人など、国籍を問わずお祀りされ、記念式典が執り行われます。
今年の5月、戦没者記念式典が晴天の中執り行われ私も出席してまいりましたが、
私にとり、ことのほか感慨深い式典となりました。。
この戦没者墓地の一角に 先の第2次世界大戦でアッツ島、キスカ島でなくなった方々が
お祀りされている場所があります。
弊社では、オーロラ観賞の旅、アラスカの自然を楽しむ旅、動物を見る旅、アラスカ鉄道に乗る。。。。
色々な形の旅のお手伝いをさせて頂いています。
一つ一つを大切に努めさせて頂いていますが、
人生の中できっと忘れる事のできない旅のコーディネートを、
昨年させて頂きました。
”アッツ島への慰霊の旅” です。
アメリカ軍、沿岸警備隊などの様々な関係機関からの協力を得て、実現した旅でした。
通常の楽しい旅とは趣旨が大きく違い、
お客様の心の中には”今まであったことの無いお父様に会いたい”
”お父様の最後の場所に立ってみたい”という想いがあふれる旅でした。
私も、ご旅行中ずっと ご一緒させていただき、アッツ島へもご一緒させていただき、
ホテルでのお食事中、飛行機の中、毎日色々なお話を伺いました。
”母のお腹にいたときに父がアッツ島に出征になったので、
男の子なら”あつし’ 女の子なら ”あつこ”とつけるようにと父が言いおいて出征したので
私の名前は”あつこ”なのよ。
”弟と釣りに行っていて、きちんと行っていらっしゃいの挨拶ができぬまま
父が出征し、それが永遠の別れになってしまったのがずっと心の中にあります”
お話を伺い、本当に1年分の涙を流したかと思うほど、
私は、毎日泣いていました。
アリューシャン列島にあるアッツ島まで、小型飛行機を乗り継いで行きましたが、
アッツ島上空の雲が厚く、
30分近くパイロットが雲の切れ間を見つけるために上空を旋回してくれました。
アッツ島は有視界着陸が原則なので、
切れ間が見つからず、着陸できないとパイロットから告げられたとき、
”お父様の最後の土地に立ちたい” と言う皆さんの気持ちを思い、本当に悲しくて泣きながら、
”上空遥拝しましょう” と皆さんと一緒に手を合わせお祈りをしました。
突然、目の前の、あんなに厚かった雲が、
ぱーーーーーーっと、
本当に雲の扉が開くように開け、飛行機が急降下をはじめました。
パイロットが 私達の席を見ながら 親指を立て、満面の笑顔で、
”みんなをお父さんのところへ連れてゆくよ!!”
と言ってくれた瞬間を私は死ぬまで忘れません。
あの厚い雲が開けた瞬間、
ここに眠る方達は 68年もの長い間、ずっと息子さんや娘さんが来るのを待っていたんだと思いました。。
アッツ島は、
”地上にこんなに空気が凛として、すべてが浄化されている場所があるかしら?”
と思うほど、空気が綺麗なところでした。
来年は終戦70年の節目となります。
御遺族の方達の年齢も年々高くなります。
遺骨収集もなかなか進んでいません。
今、平和に暮らせる事への感謝を忘れず、
もしかなうものなら、ぜひまた、皆さんにいらしていただけたらと思います。
そしてまた、旅のお手伝いをさせて頂ければと思います。
BY J
by AandPTOURS
| 2014-11-13 10:17
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